5月12日(日) おやつ アンソロジー
『シュウ・ア・ラ・クレェム』森茉莉
*もとは仏蘭西のものだという、シュウ・ア・ラ・クレェムは、私の口に入ったことがない。
*いただきがこんがりと、きつね色に焦げた皮の上にふりかかっている粉砂糖は舌の上で、春の淡雪よりも早く溶けて、その甘味は捉えることも出来ないうちに消え、卵黄と、牛乳と、ヴァニラの香りが唇一杯にひろがる滑らかなクリイムは、その日の朝焼かれたものなのに皮になじんで、皮の内側はクリイムの牛乳を吸い込んでしっとりしている。
*何かで機嫌を悪くしていた子供の神経が、クリイムが唇の中に一杯にひろがったとたんになだめられ、鎮められる。
『シュークリーム』内田百閒(うちだひゃっけん)
*私が初めてシュークリームをたべたのは、明治四十年ごろの事であろうと思う。
『アップルパイのパイ』森村桂
*私が初めて知ったケーキの名は、シュークリームでも、ショートケーキでもないアップルパイである。
『苺のケーキ』木皿泉
*テレビをつけるとイケメンと美容とスイーツのことばかりである。甘いものがこんなに脚色を浴びる時代がやってくるとは思いもしなかった。
『小さな味』阿川佐和子
*ミニどら焼きを人からいただいた。へえ、可愛い。こんな小さなどら焼きがあるんだ。箱のなかに鎮座ましますは、直径五センチほどのどら焼きミニチュア版が三つ。まるでどら焼きの赤ちゃんだ。
*そもそも小さなものに惹かれる傾向がある。お前も小さいのに頑張っているんだね、おーよちよち。つい声をかけて応援したくなる。
『幻のビスケット』矢川澄子
*毎年クリスマス近くになると、わたしの母は一度はきまってその道具一式を持ち出してきた。-今日はビスケットをつくる日なのだった。
*お菓子にかぎらず食物のよいところは音楽みたいなもので、食べればあとかたもなくなってしまうことかもしれないのだ。
『ドーナッツ』村上春樹
*今回はドーナッツの話です。ですから、今まじめにダイエットをしているという人はたぶん読まないほうがいいと思います。なんといってもドーナッツの話だから。
*揚げたてのドーナッツって、色といい匂いといい、かりっとした歯ごたえといい、何かしら人を励ますような善意に満ちていますよね。どんどん食べて元気になりましょう。
『クリームドーナツ』荒川洋治(あらかわようじ)
*クリームドーナツという呼び名のパンが好きだ。二年前から、K駅のわきにあるコーヒーとパンの店に通う。
『予客点心』辰野隆(たつのゆたか)
*嘗てパリで、在外研究員と云うよりも寧ろ呑気な風来坊として、劇を観たり、音楽を聴いたり、絵を眺めたりしてぶらぶらと暮していたころ、毎日午後の三時か四時ごろになると、僕は妙に菓子が食べたくなったものである。
『甘話休題』古川緑波(ふるかわろっぱ)
*もう僕の食談も、二十何回と続けたのに、ちっとも甘いものの話をしないものだから、菓子については話がないのか、と訊ねて来た人がある。
『お八つの時間』向田邦子(むこうだくにこ)
*「お前はボールとウエハスで大きくなったんだよ」祖母と母はよくこういっていた。
*緊張のあまり上ずってしまうほどだった。
『悲しいカステラ』佐藤愛子
*子供の頃、私は大食いだった。特に菓子類は一日中、暇さえあれば食べていた。
『きんとん』阿部艶子
*小さいとき私はきんとんが好きだった。
『菓子』池波正太郎(いけなみしょうたろう)
*私が子供のころの昭和初期には、いまのように菓子の種類も多くなかったし、洋菓子といえば、ドーナツとシュークリームとカステラの三つしか知らなかった。
*いまも、長命寺の桜餅が、むかしのままの姿と味を保ちつづけていることは、浅草生まれの母や私にとって、こころ強く、たのもしくさせおもわれるのである。
『甘いものゝ話』久保田万太郎
*嘗て、わたしは、このごろの若い人達の、汁粉を「飲む」といふのをわらつたことがある。
『花見だんご』幸田文(こうだあや)
*三つ子のたましい百までというけれど、幼い日においしく食べなれたものは、老いてのちもまだ、そのうまさを忘れず、いつまでもなつかしむ。
*時折、無性におだんごがほしくなるのは、からだが糖分を要求するのかもしれないが、半分以上は心の渇きによるものかとも思う。ことに桜もちはその傾きが強い。あの桜の葉の匂いには、情感が漂っている。
『くすぐったい白玉』筒井ともみ
*白玉のいとしさはあの懐かしいような喉ごしの感触なのかもしれない。味も匂いもこれといって特別なものはない。だからといって味が無いわけではない。ちゃんと白玉らしい味があるのだ。輪郭のぼんやりとした味とでもいうのだろうか。ひっそりしたその奥深い味わいはファンタスティックでさえある。
『秋袷(あきあわせ)』中村汀女
*草餅も鶯餅も葛餅も黄粉をこぼしつつたべるところに、おいしさも倍加するとまた知らねばならない。
*羊羹も、つつましく楊枝などでたべるよりも、ほんとはあの厚みを手にとってたべたい。
『袋菓子の陶酔』酒井順子
*肉体的な会館をも伴います。袋に手を入れ、菓子の一片をつまみ、口腔にポイッと投入し、歯でガリッガリッと咀嚼。またポイッと投入し、ガリっと咀嚼。ポイッ、ガリッ、ポイッ、ガリッ・・・という単調なリズムに次第に身体が乗るについれ、意識は「無」に近づいていきます。単純行動の繰り返しによって、日常の雑事が次第に脳裏から追放されていくのです。
*道ならぬ恋に落ち、罪と知りつつ逃避行を続ける男女のように、堕ちるところまで堕ちるしか、ないのですね。
*可愛い結晶体にも、それなりの歴史があるものなのだなあ、と思う。
『メロン・パン筆福事件』五木寛之
*政党的なメロンパンの在るべきすがたは、表面がかさかさしていて、爪でおこすとポロリとこぼれるようでなくてはならぬ。
*外は堅く、内は柔らかく、つまりハード・ボイルドのココロなのだ。アパテイアの精神、ニル・アドミラリの外貌を持ったパンこそ、真のメロンパンではなくてはならぬ!
『今川焼、たい焼き』蜂飼耳
*丸くて平たい、小さなタンバリンのような今川焼きは、デパートで求めても、ケーキの何分の一かの値だ。おいしくて安い。持ち運ぶあいだ、ケーキのように冷たくなくて、じんわりと温かい。電車のなかで、膝の上に載せていれば、丸まる猫のように温かい。
『チョコレートの不思議』東海林さだお(しょうじさだお)
*なにしろ大喜びなんですね、甘いぬかるみを迎えた口の中は。撫でたり、さすったり、舐めたり突いたり、押したり持ち上げたり、舌はもう大活躍、大歓迎。
*チョコレートの谷を越え、チョコレートの森を吹きわたってくるチョコレート色のそよ風。南国の、なんだかやるせないような、切ないような香り。この切なさは何だろう。恋の予感か、ああ、もう恋なのか。
*甘みはどんどん強くなっていく。どんどん強くなっていってついには怒濤の甘みとなり、ああ、この甘みの果てはどうなってしまうのだろう、と歓喜にうちふるえたとたん、そのものは溶けて消え失せる。あ、もうちょっと待って、というところでサッと姿を消す。
*十九歳でまだ口腔内から胃袋にかけて大人になりきっていないのか、その甘い味をおいしいと思った。