大福成長日記

本を読んで心に残った言葉を書いたり、知ったことをまとめたり…

5月17日(金) 無趣味のすすめ

 

ー趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエキスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。

 

ー不可視の流れであるグローバリズムのうねりに単に乗ろうとしても、地図も海図もないのでやがては振り落とされて死んでしまうだろう。

 

ー「好き」という言葉は自家撞着・満足の罠に陥りやすい。程度の差はあっても、好きと言う感情には必ず脳の深部が関係している。理性一般を司る前頭前皮質ではなく、深部大脳辺緑系や基底核が関わっている。

 

ー「好き」は理性ではなくエモーショナルな部分に依存する。だから大抵の場合、本当に「好き」なことに関して私たちは他人に説明できない。他人に容易に説明できるような「好き」ならば案外どうでもいいことなのかもしれない。

 

ー1人でも十分にやっていける人同士が信頼とビジョンを共有することで、初めて理想的なパートナーとしての一歩を踏み出すことができるのだ。つまり自立&自律ができていけるかということである。

 

ー尊敬や憧れの対象だった人に直接会うとき、その人に関する情報が肉体を持った実態といっしょになって目の前に現れることになる。そういうとき私たちは緊張し、少なからず混乱する。結果、情報、実態がうまく重ならず、生じた亀裂からオーラというわけのわからないものを感じてしまうのだと思う。

 

ー人間が目標を持ったとき、脳は活性化するらしい。他人から与えられたものではなく。自分で選び取ったものなら、身体も賦活される。少々の疲労は克服できるし、風邪などもかかりにくくなる。

 

ー「目標」と「夢」はニュアンスは似ているが、まったく概念が違うものだ。実現を図ることは夢なんかではなく現実だ。夢は語られるが、目標は達成されるべきもので、語られるものではない。目標は自分の中に封印されていなければいけない。語るような時間的余裕はないのだ。

 

ー集中するためにはリラックスが必要であり、かつ自覚的でなければならない。リラックスできて、かつ集中して仕事ができる人は、実はオンとオフの区別がない。「充実した仕事のためには心躍るオフの時間が必要だ」というのは、無能なビジネスマンをターゲットとして、CMが垂れ流し続ける嘘である。

 

ーより困難なトラブルは、原因が特定できないものである。原因が判明している問題は、既に問題の80%は解決したも同然だ。

 

ー問題は、メモを取る行為そのものではなく、メモを取らなければいけないほど重要な情報に常に飢えているかどうかだ。

 

ー読書をするしないかが重要ではなく、どんな情報を自分は必要としているかを自分で把握できるかどうかが問題である。情報に飢えるということが重要なのだ。

 

ー改革は必ず置き去りにされる人々を生む

 

ーリーダーとは、問題点、何をすべきか、優先順位、責任、そういうった具体的なことを理解している者である。

 

ー何らかのトラブルや疑いが発生したときは、ことの経緯と自分がどう関与したか、を明らかにするのが先決だ。単に誤れば良いというわけではない。

 

ー戦闘能力をほぼ失いポツダム宣言を受け入れた日本が、無条件降伏をしたように、非常に弱い立場にあるときは、相手の条件を丸呑みしなければならない。

 

ー今の日本社会では、誰かと何かを競うというエネルギーそのものが、希薄になっていると考える。

 

ー後悔のない転職をするためにまず考えるべきことは、自分の能力がどの程度のものか、今の会社でどのくらいの評価を得ているのか、ということだろう。つまり逆説的だが、頼むから辞めないでくれ、と会社から慰留される人こそ、転職は合理的だということになる。

 

ー貯蓄が提供するのは「安心」だが、投資はときに「希望」を生むこともある。

 

ー「決断」という言葉の語源は、治水のため堰を切って大量の水を放流することらしい。放流すると、必ず幾つかの村々が水に呑まれてしまう。だから為政者は、一体の治水のために犠牲となる村々を選ばなければなかなかった。何かを選び取るという決断は、何を犠牲にするかという決断でもある。

 

ー仕事というのは、生活の一部であって、かつ生活全体を経済的に支え、充足感によってその人の精神を支える、というものなのではないだろうか。

 

ーアイデアを生む発想力というのは、偏在する膨大な記憶を徹底的に「検索」し、適した者を意識の表面に浮かび上がらせる力ではないか。

 

ー失敗を糧として成功する人は本当にごく僅かなのだ。マスメディアは派手な失敗の後に這い上がるという成功話が好きで、つい騙されがちだが、失敗そのものに価値があるわけではない。

 

ー何かを得る、ということができるのは、挑戦する価値があることに全力で取り組んだが知識や経験が不足していて失敗した、という場合だけだ。そもそも大抵の人は、挑戦する価値のある機会に遭遇できない。何に挑戦すべきかもわからない。挑戦する何かに出会うのも簡単ではない。そこから何かを得ることができる失敗をするためには、挑戦できる何かと出会うことが前提となる。

 

ー出会うことに飢えていなければ、おそらくそれが運命の出会いだと気づかないまま、すれ違って終わってしまうだろう。