4月2日(火)森下典子のことば
ー心が甘さに飢えた大人に、上等なラブコメディーのように、甘い甘い夢を見せてくれる。
ー母はまるで蜜壺に落っこちた蟻のようだった。
ーフランス女優のように華やかで、贅沢な洋菓子だ。
(マロングラッセ)
ー乾いた音が頭蓋内に小気味よく響いて、口の中に広がった優しい甘みの懐かしさにハッとした。
(金トキ豆、そばこ豆)
ー石版のような硬さと冷たさの中に、上品な甘味を感じる。
ーアジアモンスーン地帯の空気が舌のように長々と伸びてきて、日本列島が蒸し風呂のような空気にすっぽり覆われてしまうと、美味しかったアイスクリームの乳脂肪分さえ疎ましく感じる時がある。
ー表面はダイア離席の石版のように凍り、小豆の粒々が濃く薄く、偏ることなくあちこちに姿を見せている。
ーエッジの立った角を囓ろうとすると、硬さに歯がはね返され、キーンと歯の根が冷たい。
ーなんだか、どこかで風鈴がチリンと鳴り、蝉の声もいっしょに聞こえてきそうな気がした。
ーいや、何と言うか、この頃、小豆の風味の中に「日本のココア」を感じるようになったのだ。だから、「ぜんざい」など、私にすれば、お上品なココアなのである。
ー井村屋の「あずきバー」は、現代の水無月なのではないだろうか。
(あずきバー)
ーこの素朴極まる郷土食の、たまらない滋味と優しさ!
ー全身の細胞から、一斉に歓喜が沸き上がるような気がするのは、私の体に流れる濃紺民族のDNAのせいかもしれない。
ー体か心か、そこか崩れかけたバランスが、整う気がする…。そうか、ソウルフードって、そういうものなのか!
(焼きまんじゅう)
ーモナカの皮のほんのりとした温もりに、心がホッとする。
ー軽やかな食感と、ふわんと安らぐ香ばしさ。
ーモナカのほんのりとした温もりと、軽やかな食感の向こうに、ビターなチョコの予感がする。…と感じるや否や、本命の冷たく甘いアイスがやってくる。そのアイスの中心に板チョコがサンドされていて、これが壊れるたびパリパリとした快い食感を奏でる。モナカ、チョコ、アイス。この三者のバランスが絶妙なのだ。
(チョコモナカジャンボ、バニラモナカジャンボ)
ー柏餅を食べる瞬間の、鼻先にスーッと感じる、塩漬けの柏の葉っぱの生き生きとした香りを不意に思い出したのは、つい二、三日前のことだった。
ー手のひらみたいに大きくて、ゴワゴワした柏の葉っぱにすっぽりと挟まれた、ハマグリのようにこんもりとした膨らみ…。葉の間から大きな舌が覗いたような、ぽってりと重なった白い餅の緑の丸み…。
ー柔らかなもち肌に、べたべたとひっついた葉っぱを剥がす感触。時おり、破れて餅にくっついた柏の葉っぱの繊維…。そして、かぶりついた瞬間、コシのある餅の中から出て来る餡の優しい甘み…。
ーその瞬間、花の奥にスーッと、青々とした柏の葉の香りを感じた。
ー五月の匂いだ!
(谷中岡埜栄泉の柏餅)
ーそれと同時に、鼻腔にたちまち、なんとも上品なかぐわしさがやってきて、思わず瞼を閉じ、深く息を吸う。
ーそれは決して、甘ったるい香料などではない。昔の高貴な女性の裳裾を思わせる品のある香りが風にたゆたうのだ。
ースプーンで口に運ぶと、ほのかな甘みと白ワインの酸味が口中で涼やかに広がり、八重桜の香りが鼻に抜けていく。
ー漂って止めがたい和の香りを、ゼリーに閉じ込めるとは、なんと洒落た大人の計らいだろう。
ーたくさんはいらない。ただ、年に一度か二度、こんな香りに身をひたすとしたら、日本中が桜に心躍らせている今がいい。
(レストランかをりの「桜ゼリー」)
ー目が蕩けそうな心地よさを覚えた。
ーもしかすると、私たち女子は、色からエネルギーをチャージしているのだろうか。いや、ひょっとすると、「美しい色」を心で食べて、栄養として取り入れているのではないだろうか。
ースイトピーの花のように淡いパステル系のあられは、空気のように軽く、口に入れるとサリサリというかすかな食感と、砂糖の甘みだけを残して、消えていく。
ー満腹感ではなく、安心と安息。そして、何かに思い切り熱中した後の恍惚感だ。
ーまるで天女の羽衣のような、甘く柔らかい色彩の粒たちが、パッケージ野中に無数に入っている様は、可憐で優しく、私はなんだか気もそぞろだった。
ー透けるような薄さや、軽やかさを思い、ほのかな甘さや、口の中で砕ける食感を思い描いた。
ー小さな丸い玉は、紙風船のように軽く、そっと触らなければパリッと割れてしまう。そっと拾い上げ口に入れた。湿った暖かい口に入ると、それは舌と上顎の間で、ぺしっと潰れて消え、かすかな甘い空気と、ほのかなニッキの香りだけが残った。
ー天女の羽衣のような色を、見れば見るほど恍惚となった。
ー美しい色は、女子の心の栄養なのだ。
(山下おいり本舗「おいり」)
ー湯気の中に、甘みが香った。
ー私は湯気の上がる蒸したてを手の上で「アチチ、アチチ」と、転がしながら、皮を剥いた。
ーなんだか、見ているだけで、口の中に唾液が湧いてくるのを感じる。
ー小さな芋に、滋養が詰まっているのを感じた。命に必要なものがギュッと詰まっている味がする。
(徳島「インカのめざめ」)
ーそれから、麺を手繰り、ズズッと啜った。すると、角がキリッと立った麺の歯ごたえに、こっくりとしたスープが絡んで、豚骨スープの旨みがやってきた。あとは、「ズズッ、ズズッ、ズズッ」と、ひたすら一本道である。麺を啜りながら、時折、スープに沈んだ豚バラ肉やシナチクを味わい、そして最後にスープが残った。私は丼を両手で持ち、そのドロッと濃いスープを見つめ、縁に口をつけて、ゴクリ、ゴクリ、と心ゆくまで味わった。どれほどの種類の野菜の葉、根、肉、骨、脂、調味料などが、混じり合い、引き出し合い、混然一体となって、この魔女の薬壺のような底の見えない旨みを作り出しているのだろう。
ーどうやら、徳島ラーメンの奥深さに、捕まってしまったらしい。
(東大「徳島ラーメン」)
ーその色の豊かさに目を見張った。同じ赤でも、明るく輝く朱もあれば、深みのある赤、黒みを含んだ艶やかな紅もある。黄色にも、菜の花のような明るい黄もあれば、渋みのあるからし色や、緑を帯びたレモンイエローもある。
ー日本の気候が作り上げたモザイクのように見えた。
(山の辺「紅葉の柿の葉すし」)
ー菊最中は甘い…。けれど、胸は痛かった。
(二葉家菓子舗「菊最中」)
ー一枚、そっと口に入れた瞬間、こんがり焼いたトーストの香ばしさがフッと香るが、口触りはゴチッとしている。歯を立てて思い切り囓ると「バリッ!」と派手な破砕音がして、それから「ゴリゴリゴリゴリ」「ザクザクザクザク」という音が、頭蓋内に響いた。
ーその音に、トーストのおつな香ばしさと、表面に塗られたクリームのほのかな甘みが入り混じる。
ー元々、硬く乾いたものに歯向かい、噛み砕いて食べるものが好きだった。
ー噛み砕いている間、この世は、頭蓋内に響き渡る音に占領される。
ーゴリゴリ、ザクザクと頭蓋骨に響く音は、痛快であり、快感でもあり、音もまた味だった。
ーとろりとした黄色いスープにぷかぷかと浮かんだ褐色のクルトンは、猛烈に食欲をそそった。
ークルトンの浮かんだスープを口に入れると、コーンポタージュの優しくマイルドな味の中に、かすかな脂の香りと、焦げたトーストの香ばしさが混じった。
(レーヴドゥシェフ「シューラスク」)
ー餡子の風味が実にすっきりと立っている。さらりとした粒餡で、粒に皮に、コクとうまみを感じる。
(花こうろ「こぼれおはぎ」)
ー楊枝を綿玉に押し付けて切り分け、一切れ口に入れる。寒天のつるんとした食感と、。餡玉の白あんの自然な甘みが口の中で混じり合う。その白餡の中になにやらもちっとした別の食感を感じた。求肥だ。寒天と餡と求肥。それら、種類の違う食感が、混じり合い、溶け合い、甘みを残して消えていく。
(金米堂本店「あじさい」)